法話会とこの寺報を「一味」(いちみ)と呼ばせていただきます。

法話会とこの寺報を「一味」(いちみ)と呼ばせていただきます。正信偈(しょうしんげ)の一節に親鸞聖人は「凡聖逆謗斉回入(ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう)(にょ)(しゅう)(しい)入海(にゅうかい)一味(いちみ)」とお示しになりました。これは凡夫であろうと、聖者であろうと、五逆であろうと、謗法であろうと、念仏者は、必ずひとしく阿弥陀仏のすくいにあずかるということです。

海に流れ入る川の水には、どこから流れ出てくるか、それぞれ水源の違いがあります。また途中でどのような所を流れ下ってくるのか、そのたどってくる場所や状況が違えば水もそれぞれです。しかし、出発や経過がどうであれ、海に入れば同じ塩水になります。

人はそれぞれ、生きてきた経過や経歴もさまざまです。しかし、どのような状況にあろうとも、阿弥陀仏の願いのもとでは何の違いも区別もなく皆ひとしくすくわれて行く、とお示しになったのです。

それぞれおかれている状況の違う人々が集うお寺ですが、阿弥陀さまの前では「みんな違って、みんないい」そういう場所でありたいと願い、法話会と寺報を「一味」と名付けさせていただきました。これから法話会や寺報を通して少しずつ仏さまの願いをお伝えさせていただきたいと思います。